簡単な歴史
ご滞在中に、ホテル周辺にある道の名前を、一度は耳にされるでしょう。
オーナー一族は 1357 年にジュネーブに居を構えました。エレベーターの扉上部に、オーナー一族の家紋をご覧いただけます(家紋にある帽子は、この一族が「ジュネーブのブルジョワ」の称号を有していることを示しています)。オーナー一族は、彼らの知識の一部をお客様と分かち合いたいと願っていました。
ルー・デ・グラン・プレ
この名前は、この辺りにあった、緑で覆われた草原にちなんで付けられています。その草原は、特別な美しさと、珍しいほど素晴らしい草の質で知られていました。
ルー・デ・ラ・カノンニエーレ
大砲の発砲練習場が、この場所にあったことから付いた名前です。しかし、 1782 年を最後に訓練は行われていないので、大きな音で眠りを邪魔される心配はございません。
ルー・バーモント
バーモンド州 ( 米国 ) を称えた呼び名です。ジュネーブ市民のオーベール氏が、実の名付親です。ご参考までに、同氏の奥様は、 1850 年頃ここで誕生されたそうです。
ルー・ジュセッペ・モッタ
ジュセッペ・モッタ (1871-1940) は、イタリア語を話すスイスの大統領第 1 号です。 1920 年 11 月 15 日に、同大統領は初めて S.D.N.( 現在の国連 ) の第 1 回会議に出席し、スイスの即時加入を強く主張しました。この主張は、 2002 年にようやく実現されました。
ヨーロッパのキリスト教改革運動で、 1541 年カルビンにより、ジュネーブがその中心となるまでは、カトリックが強い力を持っておりました。 現在でも、当時の大聖堂が残っています。
「 1602 年 12 月 11 日の晩に、窓から野菜スープをまき散らした絶望的な女性」がいなかったら、今日のジュネーブはフランス領となっていたでしょう(エスカレーションの争い)。
